ヘボゲーマーかくれねこの活動メモ

だいだいXM(エチゾチック・マター)もとい某位置ゲーのせいで興味無かった筈のスマホ・タブレット向けゲームアプリのほんの一部に心を囚われてしまった毒吐き閑人。更新は不定期且つ気力の有るときのみなので悪しからず。

Ingress Sitrep:京都洛北静原行(だいたいナイアンと任天堂のせい)・後編

前エントリの続き。
kakureneko-memos.hatenablog.com
前編同様、一部手直しした上での転載。元記事はこちら。
community.ingress.com

京都洛北静原行・後編

江文峠到着からの静原離脱危機一髪

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静原神社前の金毘羅灯籠については、形は他の金毘羅灯籠とは大きく異なるものの、すぐ横に金毘羅大権現と刻まれた石柱が建っておりそれであると判る。

江文峠に向かう京都府道40号線は静原小学校の東側にある京都バス城山バス停から少し東へ進んだ所で歩道が途絶え、この地域の人家もその歩道が途切れた辺りから峠に向かうトレイルルートでもある細い道を少し進んだ所で見当たらなくなる。
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集落の果て、道の舗装も無くなり建築資材置場と思われる構造物があるあたりを過ぎた所が峠道のスタート地点である。正直不穏な感じがするが気にしない。
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坂道に入る前はまだ何とか余裕。問題はここから先である。
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江文峠まであと300m。但し急坂の途中。
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何とか峠の坂道を登りきり、最終目的地の江文峠に到着。ここで山道としての峠越えルートは府道40号線を横切り再び山林の中へと入っていくが、金毘羅山の琴平神社に向かうには今回の金毘羅灯籠巡りミッションの終点である「三体不動明王 金毘羅大権現」ポータルhttps://intel.ingress.com/intel?ll=35.113446,135.80482&z=15&pll=35.111772,135.808408 として登録されている石碑の向こうにある鳥居の先の山道を登る必要がある。なおここには今まで見てきた形の金毘羅灯籠は見当たらず、鳥居の両脇に細長い石灯籠があるだけだった。ここの石碑に記されている三体不動明王とはかつて金毘羅山中腹にあった江文寺の痕跡のひとつである不動明王とその脇侍の矜羯羅(こんがら)・制多迦(せいたか)を祀る祠の事を指し、その祠も「江文寺不動尊」ポータル https://intel.ingress.com/intel?ll=35.118318,135.805683&z=16&pll=35.116513,135.809042として登録されている。
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後は日没そして京都市街行きのバスの便の時間との勝負である。峠越えで大原側に降りる計画は最初からないので江文峠ポータルをポータルハックして金毘羅灯籠巡りミッションをクリアした後、ポータルキャプチャーして静原方向へのポータルとをリンクして静原側に引き返す事に。しかし日没まで時間がなく、数年前に下り坂で転倒して踝の骨を裂離骨折しその後も平地で段差に躓き転倒して再び踝の骨を裂離骨折してしまった事のある自分は、登山杖の類を持参していないこの状態で山道を引き返すのは危険と判断、本当は歩きたくなかった府道40号線の端を歩いて峠を降りる事にした。
そして案の定、時間帯がちょうど夕方ということもあって江文峠を通る車の数が段々と増えていき、歩道のない峠越え区間の端を歩いて降りていたこの時の自分は残念なことに通行していた自動車にとって邪魔な存在でしかなかった筈だ。

静原の集落まで戻った自分は、京都市街方面行きのバスが来るまでまだ時間があると思って再び静原神社へ。というのも江文峠のポータルから静原大明神ポータルと天皇社の静原神社ポータルをリンクする為にポータルキーを使ってしまったからだ。しかし静原神社に向かう途中で目の前を17時台の京都市街方面行きのバスが通り過ぎ、しかも土曜ダイヤということもあって次のバス、それも京都市街方面行きの最終便が来る2時間以上もの間、日没後の静原集落で待機する羽目に。
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という訳で天皇社と江文峠を繋ぐコントロールフィールドを作成。

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日没時の静原の地で見たものは、集落のバス停横の愛宕灯籠の灯りや天皇社の神前の灯といった、今なお生きている風習と信仰の灯であった。
静原神社境内には宮司住み込みの社務所はなく、そのような日頃から無人の神社の摂社である天皇社において日没時に献灯が行われているのは、神社の氏子による日課が欠かさず続けられているという事ではなかろうか。
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集落のバス停横に建っている愛宕灯籠。火伏(火災避け)の信仰のひとつとして知られる愛宕信仰の本拠地も京都・洛西の愛宕山にある愛宕神社であり、江戸時代以後の愛宕信仰も金毘羅信仰同様に寺社参詣目的の金策確保と地域民の結束強化を目的とした愛宕講と呼ばれる講の存在で維持されているが、静原の愛宕灯籠の灯は前述の京都市公式サイトの静原の里マップによると集落の住人が日替わりで当番を受け持ち灯しているとの事で、それはつまりこの地域の愛宕講の存在を示唆するものであろう。
そして静原御旅町のバス停で長らく待った自分は京都市街方面に向かうバスに乗り、辺り一面暗くなった静原の地を後にした。

今回の静原行きと平行しての金毘羅灯籠巡りミッションであるが、実は当初時間が有れば金毘羅山の琴平新宮社にも行こうと考えていた。しかしネット上の登山記録等の情報を見た限りでも、標高500m級という登山初心者向けの低山の中腹かつ比較的整備されている場所とはいえやはりそれなりの服装と装備をした上で行くべきと判断して断念。その一方で帰り際に安井金刀比羅宮に行く事も考えたが、北大路バスターミナルに戻って来たところでこれ以上帰宅が遅くなっても疲れるだけと判断して結局行かなかった。

採石場前の謎の灯籠と市原の愛宕灯籠

今回クリアした金毘羅灯籠巡りミッションの元になった京都・洛中からの旧街道沿いに残る金毘羅灯籠に関する「NPO法人京都観光文化を考える会・都草」公式サイトの記事によれば静市地区内に金毘羅灯籠がもう一基存在したかもしれないという。
それと関係しているのかどうかはわからないが、場所としては二ノ瀬トンネル南のT字路を静原方面へと曲がった先、建材業者の敷地の前の京都府道40号線の歩道上に石灯籠が一基置かれているのを市原から静原の間を移動する路線バスの車窓から確認し、後程その場所のGoogleのストリートビューを見るとやはり石灯籠が設置されていたのを確認出来たので、そのうち現地を訪れてそれが金毘羅灯籠の痕跡を示す為に設置されたものなのかどうか確認したい、そしていつか静原・金毘羅山の琴平新宮社にも行ってみたいと思いながらも、結局日頃の出不精ぶり故に行く気にならず、また今回のプレイ記録を書こうと思うもなかなか書く気が起きないまま2021年を迎えた。
そうしているうちにNianticの「新作ゲーム」として任天堂のピクミンシリーズのスピンオフアプリの発表があり、やはり昨年の静原行きのIngressPrimeプレイ記録を書いて何処かにUPしないといけないという気持ちに駆られるようになった。そして自分が存在を把握した建材業者敷地前の石灯籠の現物確認もすべきだろうと思い、今年の5月8日、再び京都・洛北に向かった。
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この日の洛北行きでは京都市街地からの路線バスは使わず、叡山電鉄市原駅で下車。但し自宅を出発したのが遅かったこともあり到着したのは17時過ぎ。石灯籠がある場所はここから徒歩で30分もかからない所であるので日没にさえ間に合えばよい。
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昨年の静原行きの際には気が付かなかった市原の鞍馬街道旧ルートは、叡電市原駅と市原バスターミナルを繋ぐ道でもある。
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市原バスターミナル東側の踏切から府道40号線を撮ったもの。ここも歩道の無い場所であり、踏切のすぐ北側にかかる橋を渡って住宅街横の川沿いの道を北進し再び橋を渡った方がより安全に目的地に到達出来たという事を帰路にて知ることとなった。
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そして今回の目的地に到着。気になっていたのはこの石灯籠である。場所としては上記画像の上から3枚目の地図上にある青い点が示すところになる。灯籠のタイプとしては日本庭園の装飾としても定番の春日灯籠と呼ばれるものであるが、そんなに古い時代のものではなく作られたのは前世紀後半以降ではなかろうか。
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だがこれが静原の金毘羅山への参詣ルートを示す金毘羅灯籠なのかどうかは現物をみた限りでは全く判らず、それ故ポータル申請もしなかった。この灯籠のある場所の横にある建材業者に関係者がいるのであれば訊いてみようかとも思ったが、結局訊かずにその場を後にした。
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徒歩で市原駅に戻る途中、今回の目的地に向かう際に見かけた愛宕灯籠がまだポータルになっていなかったこともあり、ポータルに相応しいかどうか見定める。この時は新しい灯籠のように見える石柱が実は愛宕神社の神札を納める祠(御札入れ)である事を知らなかった。祠の上部に枯れたシキミの束が3本括りつけられている三叉の棒があるのは、この灯籠にまつわる風習が健在である事を示唆するものだ。ちなみにこの三叉の棒は昨年静原を訪れた際に見かけた静原集落のバス停横の愛宕灯籠では見かけず、ネット検索するとどうやら京都・洛北の一部に見られる風習とのことで、「お飾りさん」と呼ばれていて洛北地域でも松明を使った愛宕信仰の祭礼「松上げ」が行われている地域の風習である由を書いたツイートがあった。


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御札入れは昭和55年(1980年)1月に建てられた由が記されているが、灯籠のほうは側面に建てられた年月が刻まれてはいるものの、この時の自分には20世紀前半の大正時代のものかもしれないという事以外は読み取れなかった。
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この愛宕灯籠については、ここから南の府道40号線鞍馬街道旧ルートの分岐点のところに存在する「常夜灯」ポータルhttps://intel.ingress.com/intel?ll=35.089326,135.758118&z=17&pll=35.088461,135.762414として登録されている鞍馬街道の痕跡のひとつの愛宕灯籠と関連したものと判断し、Ingressにおけるポータル「愛宕灯籠(叡電市原駅前)」としてNianticへの位置情報申請を行った。なおこの件については後日ポータル申請通過のメールがNianticより届いた。
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折角なので「常夜灯」ポータルこと府道40号線沿いの愛宕灯籠にも行ってみた。こちらも灯籠横に建っている愛宕神の祠の上部に三叉の棒が設置されシキミの束が括りつけられていた。日本仏教の風習に欠かせない植物であるシキミだが愛宕信仰においても欠かせない植物だったりするところ、愛宕信仰が本来は神仏習合の信仰であったことの証とも言えるだろう。
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京都市街行きのバスを市原駅周辺で待っていても退屈なので徒歩で南下し、二軒茶屋駅前の金毘羅灯籠を再び尋ねた。ここの金毘羅灯籠に灯りが点された時代は遠くなり、灯が再び戻って来る事はもう無いのかもしれない。静原の金毘羅山の琴平新宮社は地域住民の信仰の場として残っても、江戸時代以降の京都で行われた洛中と金毘羅山を繋ぐ金毘羅信仰は時代の変遷で下火になり実質無くなってしまったか、まだ残っていたとしても参詣の為の移動手段として徒歩を必要としなくなったという事だろう。

そしてこの日も安井金比羅宮を訪れようと思うも、七条・正面通某所における『IngressPrime』プレイ画面上の情報と『ポケモンGO』及び『ハリー・ポッター魔法同盟』のプレイ画面上の情報との比較の為のスクリーンショットを撮りたいと思い、そちらを優先した結果行かずじまいになった。

あとがき

結局発端が「だいたいNIA以上に任天堂(というか『どうぶつの森』というコンテンツ)のせい」な三度に渡る京都・洛北での「調査」(という名のプレイ)だったが、「任天堂作品における静原神社一帯のポータルからのXMの影響を調査する」という本来の目的そっちのけで日本語圏のネット上で閲覧出来る情報も参考にしながら金毘羅信仰や愛宕信仰に纏わる洛北地域の事物の存在にほんのちょっと触れる興味深い機会となった。行けなかった安井金比羅宮と静原の琴平新宮社はそのうちいつか訪れたいが、その機会を自分が作る時が来るのと自分がCOVID-19への感染等で最悪この世との「縁が切れる」或いは「NIAがスキャナーの提供をやめてしまう」(IngressではIngressアプリは某国の諜報機関NIAが謎物資XMの調査・属性操作目的で某企業を介して提供しているシステムという設定なのでプレイ画面の事をスキャナーと呼ぶ)のと、果たしてどっちが先になるだろうか。昨年の初め以降、任天堂もPRに加担している2020東京オリンピック・パラリンピックの動向も含め(結局その後開催強行されてしまったが)、自分の気分は『太平記』の後半で描かれた愛宕山の異界に結集し形而上の世界から世を正す為の騒動が再び起きるよう仕向けなければと策を論ずる崇徳天皇はじめとした怨霊勢や天狗勢にちょっとだけ近かったりするのだが、残念ながら自分には不思議な力で世を正すスキルなど元からない。もし仮にそんなスキルを持っていた或いは手に入れたところで悉く面倒な事態を招くだけだろう。
ところで任天堂作品(特にどう森シリーズ)における静原神社一帯のXMの影響とやらは結局どういうものなのだろうか? 敢えて無理矢理にでも定義するならば、「水のようなもの」に他ならぬのではないのだろうか。娯楽に限らない人類の多種多様な文化という形で現れているXMの影響が枯渇したりその性質が変わるような事が起きれば、娯楽のひとつであるゲームもまたその影響を受けるのではなかろうか。
古代中国の思想家・韓非の著とされる『韓非子』に「盂方水方、盂圜水圜。」という「水は方円の器に随う」という諺の元となった世の中の道理を水とそれを入れる器(盂)に例えた孔子のものとされる言が載っているが、XMが与える影響がどのようなカタチで世に出るかは結局影響を受けた者の技量と感性を遺憾無く発揮出来る環境を生み出す諸条件の積み重なり次第なのである。XMの持つ力は『平家物語』の前半において白河法皇(白河天皇)のボヤキの中に登場する「賀茂川の水」のようなもので、事実昨年のCOVID-19パンデミックが確定した直後に世に出された『あつまれどうぶつの森』は世の多くの事象を巻き込む激流となって一世を風靡しているが、コンシューマーゲーム機の覇者の座を降りて久しい任天堂にまだまだそういう力が残っているのもこれまでの諸々の積み重ねの果てにXMの影響を受けたクリエイター達がその感性と技量を発揮出来る場所という「器」になっているからだと言えよう。しかしその「器」とやらも結局のところは日本社会における各種のヒエラルキー(特に産業界のそれ)ありきでしか成り立たない「砂上の楼閣」でしかなく、何も任天堂作品に限った話ではないが日本社会が抱えている歪みの影響も作品の中に現れているのでは? と思うのは自分だけだろうか。

以下はおまけ。今回の3度目の京都・洛北行きの帰りに立ち寄った時の、京都・七条は正面通某所における現実世界の状況と『IngressPrime』・『ポケモンGO』・『ハリー・ポッター魔法同盟』それぞれのプレイ画面上での状況である。
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この時訪れた任天堂創業の地こと山内任天堂旧本社ビルは仮囲いに覆われていた。そしてこの場所で『IngressPrime』を起動させた時の画像がこれ。
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続いて『ポケモンGO』を起動してみた時の画像がこちら。
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そしてNianticにとっては結局大コケ案件となってしまった『ハリー・ポッター魔法同盟』を起動してみた時の画像がこれら。
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ポケモンGOではポータル密集地域における全ポータルの情報がポケストップ及びジムとして反映されない場合が多い上に配信直後の狂乱ぶりが災いしてポケストップ及びジムが置かれた場所の管理者から情報の消去を求められたNianticがある程度それに応じた事もあり、山内任天堂旧本社ビルにある「任天堂発祥の地」ポータルhttps://intel.ingress.com/intel?ll=34.991662,135.765239&z=19&pll=34.991642,135.766305の情報が反映されていないのも何ら不思議ではないのだが、魔法同盟の方ではどうなのだろうと思っていたらちゃっかり反映されていたようである。

因みに山内任天堂旧本社ビルであるが、現在それを管理しているのは任天堂の創業家である山内家であり、それ故か2010年代以降の本邦における主要産業であるインバウンド顧客向けの観光業の隆盛に便乗した宿泊施設への改装の件がCOVID-19パンデミック確定前に話題になり、その後施設運営元となる企業が出した公式ニュースリリース(PDFファイル)によると当初の計画を一部変更して飲食店も入る予定となったらしいが、天運とは必ずしも味方になるとは限らぬもので開業は今夏予定とあるが(なお2021年10月3日の時点でも開業のニュースはなく運営元になる株式会社Plan・Do・Seeの公式サイトをみても進展はない)果たして開業に漕ぎ着けたところでどうなることやら。とは言え開業したらそれはそれで話のネタとして改めて訪れてみたい場所ではある。
hotelbank.jp

それにしても「任天堂創業の地」ポータルのある山内任天堂旧本社ビルにポケGOのポケストップやジムはないのに魔法同盟の喫茶店があり、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに登場したマリオの世界にピクミン達が違和感無く紛れ混んでいる造形の任天堂エリアがハリー・ポッターエリアの「黒い湖」の向こうに位置しているという偶然は、Nianticによるピクミンアプリの件も含めNIAとワーナーと任天堂の三者によるXMを巡っての陰謀と言うか水面下での駆け引きでも起きているのか? という、Ingresエージェント視点からの考察(という名の妄想)の題材には持ってこいなのかもしれない。

【2021.10.12追記】このエントリをUPした後、USJがポケモンとも組むという話が出てきて噴いたwまさかの「全ての元凶」が漸くUSJに来るとかIngressエージェントによる考察という名の妄想が更に捗って仕方がない(苦笑)
これで更に山内任天堂旧本社ビルがホテルとして開業した後にNianticが持っている「任天堂発祥の地」の位置情報データがポケGOに反映されようものならIngressエージェントとしては本当に「伊藤園のお茶を噴く」以外に無いが、Nianticへの位置情報申請は今やポケGOからも可能なのでかの場所が開業に漕ぎ着けた後に既存の位置情報データが反映されるのと気の早いポケGOトレーナーが申請するのと果たしてどっちが早い事になるだろうか? それどころか既存の位置情報データとポケGOトレーナーによる申請に基づく位置情報データの双方が存在する状況になるかもしれない。まあもし仮にそうなったとしても個人的には位置情報のタイトル名が異なるなら多少は許せるか。しかし「任天堂発祥の地」の位置情報データ、サービス開始待ちのピクミンアプリには果たして反映されるのであろうか、それとも……?
そういえば『ポケモンGO』が世に出た経緯に関して石原恒和氏と増田順一氏がIngressエージェントだったって話が電ファミニコゲーマーによる石原恒和氏・増田順一氏・Niantic川島優志氏の鼎談にあったな。
news.denfaminicogamer.jp
この鼎談だが、今改めて読んでも結構面白い。だがポケGOの大ヒットがNianticとポケモン双方に及ぼした影響を見ていると、ダメな意味でのXMの影響もとい人間の業も垣間見てしまうというか……